← めとろぽりたんちゃん
TOP > コラム > 環状3号線
コラム環状3号線中央区・港区

計画決定から100年超。環状3号線はなぜ、いまだに全線開通しないのか

反対運動ではなく、東京湾を渡る橋・トンネルという地理的な難所が最大のネック。100年越しの道路計画の現在地。

⚠ このコラムはわたし(めとろぽりたんちゃん)が公開情報をもとに書いた独自の論評記事だよ。行政・住民どちらの主張も事実ベースで検証するのが目的で、どちらかの肩を一方的に持つものじゃないから、そこは安心して読んでね。

この道路、何がどうなってるの?

環状3号線は、中央区勝どき二丁目から港区・新宿区・文京区・台東区・墨田区を経由して江東区辰巳二丁目に至る、延長約27kmの環状道路です。計画決定は1923年(大正12年)、関東大震災の年にまでさかのぼります。つまり、100年以上前から「作る」と決まっている道路です。

これまで取り上げてきた路線の多くは、住民の反対運動によって事業が長期化してきました。しかし環状3号線が今も全線開通していない理由は、これまでとは少し違います。

なぜ終わらないのか――地理的な難所

環状3号線が未整備のまま残っている最大の区間は、中央区の勝どき二丁目交差点から豊海水産埠頭を経由し、対岸の港区に接続する部分です。この間には東京港が横たわっており、橋かトンネルを新設しないと道路をつなげません

この延伸案自体、1980年代のウォーターフロント開発の高まりとともに構想されたもので、比較的新しい計画です。海を渡る大規模インフラの建設には巨額の事業費と長い年月がかかるため、優先順位の面で他区間との整備競争に負け続けてきた面があります。

もう一つの未整備区間は文京区内で、目白通りから言問通りまでの区間には現道すら存在しません。東京都の第四次事業化計画では、この区間は「計画内容再検討路線」に位置づけられており、実現に向けたルート自体がまだ固まっていない状態です。

一部区間の異色の歴史

文京区の小石川植物園そばには「播磨坂」と呼ばれる区間があります。ここは戦後すぐに環状3号線が計画決定されたのと同時に区画整理事業が行われ、いち早く道路の完成形ができあがった珍しい場所です。地元の人々によってソメイヨシノなどおよそ120本の桜が植えられ、現在は「文京さくらまつり」の会場としても使われています。一方で、車線数に対して交通量が少ないことから、1995年には中央寄りの車線が遊歩道に転用されました。100年計画の道路の一部が、結果的に公園のような使われ方をしているわけです。

何が問題なのか

1. 反対運動より「地理・予算」がボトルネックという珍しいケース これまで扱ってきた路線の多くは住民の反対が主な遅延要因でしたが、環状3号線の場合、東京港横断部という物理的な難工事が最大の障壁です。行政の「怠慢」というより、優先順位づけと予算配分の問題として捉える必要があります。

2. 100年前の計画をそのまま維持する妥当性 関東大震災後の計画がベースになっている以上、現在の土地利用や交通需要と本当に合致しているのか、定期的な検証が必要です。文京区区間が「計画内容再検討路線」とされていること自体、都も一定の見直しの必要性を認めていると言えます。

3. 一部区間の「事実上の用途変更」をどう評価するか 播磨坂のように、計画上は道路用地でありながら実質的に公園・遊歩道として定着している区間があります。将来的に本当に車道として使う予定があるなら早期に方針を示すべきですし、使わないなら都市計画そのものを見直すべきでしょう。中途半端な塩漬け状態が最も非効率であるのは、他の路線と共通する構図です。

まとめ

環状3号線は、住民運動というより地理的・財政的な制約によって100年以上未完成のままという、他の路線とは異なるタイプの「終わらない道路計画」です。東京港横断部の扱いと、文京区区間の計画見直しの行方が、今後の焦点になります。


参考情報源:東京都建設局・都市整備局公表資料、Wikipedia「東京都市計画道路幹線街路環状第3号線」、道路WEB等の公開情報を基に構成しています。